今日は、午前中に北海道清水町に「旧十勝開墾会社及び青淵山寿光寺」の視察に伺いました。
清水町は、面積が約402平方キロメートル、人口が約9,400人の町です。
埼玉県が生んだ偉人と言われる渋沢栄一縁の場所です。
①熊牛百年拓墾の碑、開拓70年記念碑
まず伺ったのが、熊牛百年拓墾の碑、開拓70年記念碑です。
明治31年、十勝開墾合資会社によって開拓が始まった熊牛地区は開拓100周年を迎え、その記念碑だそうです。
隣には70年記念碑も立てられており、ともに熊牛開拓のシンボルとして親しまれてきたそうです。
②旧十勝開墾合資会社、熊牛農場の厩舎(渋谷ファーム)
次に訪れたのが、旧十勝開墾合資会社です。
大正8年に熊牛農場の厩舎として建築された建物を一部改築し、現在も渋谷ファームの牛舎として使われているそうです。
明治30年に渋沢栄一他10名が資本金100万円で旧十勝開墾会社を設立し、開拓を始めたそうです。
交通の不便、気候の寒冷等支障も多かったものの、最盛期には耕作地約8000ヘクタールまで発展し、昭和9年の解散まで続いたそうです。
いまでもたくさんの牛たちがいました。
③青淵山寿光寺
次に訪れたのが、青淵山寿光寺です。
大正4年に十勝開墾合資会社が集会所兼説教所を建てたことに始まり、寺院創建の機運が高まり、大正15年に渋沢栄一の雅号「青淵」を用いて公称したそうです。
農業が始まり、人々が落ち着くと次は心の拠り所として、寺院が建設されたそうです。
④大勝神社
次に訪れたのが、大勝神社です。
熊牛原野に入植した十勝開墾合資会社の小作人たちが地域の発展を願って、明治37年に小さな祠を建てて天照大御神を祀ったのが始まりだそうです。
大正の「大」と十勝の「勝」で「大勝神社」と名付けられたとのことです。
⑤清水町役場
最後に訪れたのが、清水町役場です。
応接室には、渋沢栄一の書「寛而約(かんにんしてやく)ー広い心を持つ一方、つづまやかであるべき」が飾られています。
渋沢栄一は明治41年に初めて清水町を訪れ、3日にわたり熊牛農場を視察し、職員や小作人へ奨励金を渡したり、児童教育費を寄付したそうです。
渋沢栄一は新一万円札になり、埼玉県も盛り上がっています。
今回こうして清水町と埼玉県がつながり、渋沢栄一の縁の地を訪れ、その様子を直接見ることができ、光栄です。
清水町では、町長、議長、職員の皆さんが大変心のこもったおもてなしをしてくださり、また、私たちが視察に伺い、清水町と埼玉県のご縁ができたことを地元紙2紙が取材してくださいました。
清水町の皆さん、どうもありがとうございました。